
ネムルート山について知っておくべき10の情報
ユネスコ世界文化遺産に登録されている、コンマゲネ王国の遺跡・彫像・碑文が魅力的なネムルート山は、多くの国内外の観光客がよく訪れる場所です。山の頂上に位置し、歴史に光を当てるこれらの作品は、今日も謎のままです。ネムルト山に関する詳細な回答はこの記事でご覧いただけます。
1- ネムルート山の伝説とは?
ネムルートとは、無慈悲・過酷・笑顔ではないという意味です。伝説によると、ネムルート山は、預言者アブラハムを火に投げ込んだネムルートというバビロニアの支配者にちなんで名付けられました。ネムルート山については、長年にわたって様々な伝説が広まっています。これらの中で最も具体的なものは、コンマゲネ王国に基づく伝説です。ギリシャとローマの神々を描いた作品に、東洋の伝統の重要な痕跡もあります。ネムルート山が不思議に思われるもう一つの理由は、まだ発見されていないトンネルや墓がたくさんあることです。山についての伝説は、「キリスト教がここから始まった」こと又は「イエスの誕生」、さらに「クリスマスが間違った日付でのお祝いされている」ことなどに関していろいろです。
しかし、多数派によって受け入れられた意見は、王は新しい宗教を確立するという理由でペルシャとギリシャ人の宗教を統一したかったということです。彼はネムルート山をこの新しい宗教の中心にすると同時に、全世界と不死を支配することを目的としていましたといわれています。アンティオコス王によって建てられたこのエリアには多くのテラスがあり、それぞれが神聖であると考えられています。これらのテラスにある神の彫像は、東西の神々の像です。ペルシア語とギリシャ語の両方で名前が付けられたこれらの彫像は、2つの文化を結びつけるという王の意図を証明しています。
2- ネムルト山の特徴とは?
ネムルート山は火山であり、天然記念物また人間が作った歴史的な遺物でもあります。このため、1987年からユネスコの世界遺産に登録されています。同時にネムルートは、トルコで稼働する可能性がある火山の1つと見なされています。高さ2150メートルのこの山は、紀元前1世紀のコンマジェネ王国によって謎に満ちた巨大な彫像で飾られました。彫像があることで「神々の山」としても知られるネムルートの多くの部分は、今日でもまだアクセスできていません。完全に人工のこれら塚や墓に何が隠されているのかはまだ謎です。しかし、この山と山にある彫像が面白いのは、今日の技術でもアクセスが難しいこの山にそれらの作品が当時の技術でどのように置かれていたかです。最も論理的なのは、上から道具を使って石を配置したという考えですが、当時の技術でどのように行われたかは謎です。
3- ネムルート山の彫像は?
これらの彫像は、多神教がかなり一般的だった時代に作られたもので、ペルシャ帝国とギリシャ文化の両方の痕跡を残しています。このため、山に10メートルの大きさで神々を象徴する巨大な彫像があります。実際、それぞれの彫像は、宗教を統一するという王のビジョンとそれを達成するために彼の努力がどれほど巨大かを明らかにします。
4- ネムルート山はどのよう形成されたか?
ネムルート山は、第四紀に形成された成層火山群に属する山です。この点でも、アナトリアで最も重要な火山の一つです。記録によると、ネムルートクレーターが最後に動き出したのは1411年と1441年だそうです。今日カルデラの外観に到達することは、10万年前に行われたビッグバンに基づいています。
5- ネムルート山の位置は?
ネムルート山は、アドゥヤマン県のカフタ地区のカヤディビ村の近くにあります。ネムルート山から市内中心部までの距離は約87 kmです。
6- ネムルート山への行き方は?
ネムルート山に行くために、最初にアドゥヤマンの街に行かなければなりません。アドゥヤマンへ飛行機、バス、または自家用車でアクセス可能です。アドゥヤマンに到着後、ツアーに参加したり、またはレンタカーで山にアクセスできます。ただし、最も楽しくて有益なネムルート山旅行のためにはHIS のツアーをお勧めいたします。
7- ネムルート山の彫像はどのように発見されたか?
ネムルト山の遺跡の発見は、1881年までさかのぼります。カールセスターによってディヤルバクル周辺の道路工事中に、コンマジェネス王国のこれらの遺物が見つかりました。最初はこれらの作品がアッシリア人に属すると考えられていましたが、ギリシャ語の碑文から実際にはコンマゲネ王国に属していることがわかります。
8- 彫像の背後にある碑文には何が書かれているか?
ネムルト山の碑文は、山のすべての作品がコンマジーンの王、アンティオコス1世の名の下に作られたことを示しています。碑文は明らかに将来の訪問者のために準備されたものであり、彫像に関する多くの詳細も示しています。実際、この碑文は、王が残した伝言と考えられます。また、彫像の裏には200行の王の意志も記されています。この意志によると、王は寺院をもっと美しくするために次の王を任命しています。崇拝に来る人を称賛する一方で、悪意を持って来る人を呪っています。この聖域を訪れる全ての人が最も完璧な方法で歓迎され、彼らには最も質の良いワインが提供されることを望んでいます。また、セレモニーを華やかにするためにミュージシャンを起用しています。
9- 王の墓の位置は?
アンティオコス1世の墓もネムルート山にあることが知られていますが、まだ見つかっていません。現在のテクノロジーでは、古墳を壊さずに詳細な検索を行うことはまだまだ不可能のようです。
10- ネムルート山の彫像の名前は?
ネムルト山のテラスにある彫像の名前は次のとおりです。
アンティオコス1世(テオス)、ヘラクレス(アレス・アルターニュ)、
ゼウス(オロマデス)、
フォルトゥナ(コンマジーンの女神)
アポロ(ミトラス)
太陽が王国で最初に反射する場所である東テラスに、先祖ギャラリー、祭壇、神々ギャラリーがあります。西テラスも実は東テラスと同じようなものですが、若干破壊しているため見た目はがより乱雑になっています。西テラスにも同じく神々の彫像があります。さらに、アンティオコスが神々と挨拶する5つのレリーフもあります。
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